キムシン日記

ブログ復活しました♪ 皆さんよろしくです!

ラジコン自分昔話 番外編

昔の写真が発見されたので、今回は番外編として過去の写真を少し載せます。面白い写真はありませんが、自分の記憶に留めるためにもとりあえずブログに残しておきます。




↑ 4才ですね。おそらくラジコンデビュー直後。お父さんと近くの駐車場でいつも走らせてました。なんとスティックです!




↑ 12才。これは谷田部ラウンドで初優勝した直後。カラーリングがロスマンズカラーです、セナファンだったんで(笑)




↑ 14才。アメリカ到着直後、後ろの人が雰囲気を出してくれています。レンタカー屋ですね。




↑ これもアメリカで。サングラスなんかかけてますね〜。たしかこのサングラス、OAKLEYのサングラスがほしくて破壊した記憶があります。で、それがばれてものすごく怒られました・・・。


続く・・・
  1. 2006/12/28(木) 01:52:58|
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ラジコン自分昔話 パート9

1997年8月、僕はアメリカにあるランチピットで開催されたEPオフ世界戦に出場しました。

初めての海外、そして世界選手権とゆーこともあり、やっぱり何が何だかわからない状態でした。


少し早めに現地入りして練習もしました。覚えているのは、たしかその時は異常気象でものすごく暑かったことです。40℃オーバーです。日陰に置いてあるバッテリーも熱くなって充電してあるかわかんなくなるし、扇風機にあたっても熱風がきて余計に暑いし、のぼせて鼻血出て止まんないし、などなどいろんなことがありました。

そしてなんと言っても外国人選手の走りに衝撃です!みんなカッコ良く走ってます、速いです!初めてみるドライビングスタイルでした。


その後は数日のコースクローズがあり、ついに世界戦本番に突入します。

レース直前に父も合流して、僕のワガママ度もピークに達していた記憶があります。違う靴がほしい!Tシャツがほしい!サングラスがほしい!疲れた!帰りたい!つまんない!など、ラジコンとは関係ないところで、チームのみんなにかなり迷惑をかけましたm(u_u)m ただ、きれいな夕焼けをみながら怒られ続けた日々は、今となっては良い思い出です(笑)


そんなダメダメキャラを遺憾無く発揮していた僕ですが、肝心なレースの方は密かに自信をもっていました。はい、日本で調子が良かったので、調子にのってました(-з-)

そしてやっぱりレースで、自分の未熟さ、世界のレベルの高さを思い知らされます。


結果から書きますと

たしか50〜60位ぐらい

そんな感じで撃沈しました。ファイナルには進出できるだろう・・・、とか考えてた自分が恥ずかしいです。

敗因はもちろん実力不足です。どんなに走る車でも、当時の腕ではどうやってもファイナルには進めなかったと思います。

また、昨年の初全日本同様、経験不足も大きく響きました。つまり、自分の実力をフルに発揮することができなかったのです。

焦りからくるミス、無駄にパワーを入れ過ぎてしまう、周りを気にして集中できない、そして一番は


実力以上の結果を求めてしまっている


など、レース経験不足からくる精神的な影響が大きかったと思います。

実際に、当時の自分でもそれに少し気がつくことができました。レースになるとなんでミスが多くなるんだろう?って・・・。


そして世界のトップドライバー達の本気走りを見て、いろいろなドライビングスタイルがあり、人それぞれの特徴があると知りました。

つまり、どのスタイルが良いとゆー訳ではなく、自分にあった、車にあった、コースにあったドライビングスタイルがあり、それを見つけることが必要だと感じました。ってゆーかみんなカッコ良かったです!!!


そんな感じで、初世界戦は幕を閉じました。

続く・・・
  1. 2006/12/27(水) 14:15:20|
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ラジコン自分昔話 パート8

1997年夏、中学2年の僕は相変わらずラジコンモード全開です。

チームは昨年同様チームルナでお世話になります。

そしてその年はアメリカでEPオフロードの世界選手権があるんですが、僕も参加予定でした。やはり経験は早い方がいいだろうとゆーことで。

そのためその年は、僕はもちろん、チームヨコモのメンバーなども積極的にオフロードの練習を行っていました。

その年のラジコン走り込みは自分の基礎をつくったと言うか、飛躍的に上達することができた大事な時期だったと思います。特に、師匠の三瓶さんをはじめ、当時チームヨコモだった足立さんなど全日本トップドライバーと毎週一緒に走れたことはとても大きな経験でした。練習ですが積極的にトップドライバーに挑んで必死に走って、毎パックレースみたいな感じです。

レースの結果も順調に上がっていました。谷田部ラウンドレースでオフロードクラス初優勝(たしか2WD)、全日本の関東最終予選でトップ通過(これまた2WD)、などかなり調子にのっていたような気がします。

しかし、大きな課題も抱えていました。それは


パワー入れすぎ!


です。前回の昔話でお話した通り、オヤジ走りを脱出するために僕はパワーバカになっていました。

バッテリーがもたない、モーターを壊す、タイヤをすぐダメにする、車を壊す・・・、などなど、どうしようもないぐらいパワーを入れてしまいます。


そんな不安要素もありましたが、1997年8月、アメリカカリフォルニア州にあるランチピットショップで開催された、EPオフロード世界選手権に挑みます!

続く・・・
  1. 2006/12/24(日) 19:56:59|
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ラジコン自分昔話 パート7

1996年末、その年の全日本は全て終わり、ラジコン界もオフシーズンです。

しかし、僕は谷田部アリーナでラジコンをしまくってました。特にそれまであまりやっていなかったオフロードをです。

翌年にオフロードの世界選手権があるとゆーことで、チームヨコモのメンバーも、我々チームルナも積極的にオフロードの練習をしたのです。

とは言え、僕のできる練習はひたすら走りこむことぐらいなので、タイムを計ってもらいながら1日30パック近く走っていたような気がします。


そんだけ走ったので、バギーにも慣れてきて、ある程度思い通りに操縦できるようになってました。バギーの基礎(ジャンプの飛び方、斜面の使い方など)も教えてもらってバッチリです!

が、しかし、ラップタイムが上がりません・・・。安定はしてるんですが遅いです・・・。

その後もいくら走ってもラップを上げることができません。


そんなプチスランプ中、チームヨコモの足立選手に走りを見てもらう機会がありました。1パックまるまるチェックしてもらって、言われた一言が


走りがオヤジだね


です。( ̄□ ̄;)!!

衝撃でした、僕はまだオヤジじゃないのに・・・、とか考えてたら説明してくれました

パワーが全然入ってない、もっとパワー入れて走れるようにならないと。若いんだから。

的な感じです。


たしかにその通りでした。僕はツーリング、つまりオンロードみたいな感じで無駄をはぶいて安定して走ろうとばかり考えていたのです。

それは大事なことですが、でも限界まで攻めていなかったら話になりません。


それを教えてもらった僕は、パワー命と決めて、モーターが1パックで壊れるくらい、新品タイヤが1パックでツルツルになるくらい、パワーを入れまくって練習しました!!!
  1. 2006/10/26(木) 14:03:16|
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ラジコン自分昔話 パート6

1996年、バギーの初全日本でレベルの差を思い知らされた僕は、休む暇なくツーリング全日本に向け、練習をしてました。

当時は、過去の全日本成績でシード獲得経験者以外はエキスパートクラス出場不能だったので、必然的にスポーツマンクラス出場になります。

たしかあの時も、直前練習で「車が走らない!」とか言って大騒ぎして、チームの皆さんに迷惑かけてた記憶があります(笑)

そしてツーリング全日本に挑んだわけですが、覚えているのは予選最終Rまで11位とかで、最後の予選は緊張しながらひたすらミスらないように走って、どうにか10位に滑り込んで決勝進出を決めた記憶があります。そんな小さい時から自分は守備的な走りをしてたんですね〜(笑)

でも、今考えたらあの時決勝に進出できて本当に良かったと思います。もちろん嬉しかったし、なによりも自信になりました。その自信のおかげでラジコンを今まで続けてこれたと思います。

決勝は何も考えずに走って、7位でした。(何も考えてなかったため、またまた迷惑をかけた記憶も・・・)

そんな感じで1996年は様々な経験をつむことができ、僕は更にラジコンにはまっていくのでした。

そしてこれから、僕はバギー野郎へと変貌していきます。
  1. 2006/10/25(水) 13:34:01|
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